2009年2月23日朝8時20分。我が家に14年間君臨してきたネコ「ガウ」が天国へと旅立って行った。
1995年春。新築して間もない我が家の勝手口で鳴いていた生後3か月くらいの子猫。もちろんノラだ。白と黒のツートーン模様で尖った顔付き。決して愛らしいルックスとは言えなかった。私が差し出したカマボコを臭いも嗅がずに「ガウガウ」鳴きながらかぶりついた。それほどに飢えていた。さらにタンマリとエサをもらい、その翌日から我が家に住み着こうと勝手に決めたらしい。名前は「ガウ」に決まった。一応漢字で書くと「我在(ガウ:我が在る)」となる。
避妊手術をしようとしたら、メスのくせに子宮や卵巣がない奇形ネコであることもわかった。そのせいか近所のオス猫とも平気でケンカする。しかも強い。よって、かなり広大なテリトリーを仕切っていたようだった。
やがて長男が生まれた。赤ん坊と同サイズにまで大きいガウ。最初は赤ん坊を見下していたガウも、長男の成長に伴い仲良しになり、最近は主人のように甘えていた。娘とも仲がイイが長男の比ではない。長男の膝枕で寝るのをガウはいつも楽しみにしていたようだ。
今年の冬、高齢になったガウの体力は徐々に落ちていった。食が細くなり体重も半分に激減。病院で検査をうけたところ腎臓病らしい。血液の浄化が進まず、人間なら人工透析を受ける段階だそうだ。完治は望めないとのことなので自宅で過ごさせることにした。
先週からは水以外は一切の食事を摂らなくなりガリガリにやせ細っていくガウ。それでもフラフラしながら散歩に出掛けては近所のネコと睨み合いをする。
昨日、外に出たガウがどこかに行ってしまった。庭で呼ぶと返事がする。どこにいる? さんざん探してウッドデッキの床を開けたところ、その下にうずくまっていた。
ネコは死期が近づくと姿を隠すというが、無抵抗な状態で外敵に襲われるのを避ける本能だと聞いたことがある。今に思えばガウ自身わかっていたのかもしれない。
家の中に入れて、顔中の汚れを濡れタオルで拭いてやった。グルーミングする元気もないので体中が汚い。気持ちがいいのか私に身を任せるガウ。
明け方3時ごろガウが鳴いた。まだ起きていた私はガウのベッドへ行き、喉を指で愛撫してあげた。私をじっと見つめながら何度も鳴くガウ。
そして今日の朝。息子たちが起きるとベットにガウがいない。息子が名前を呼んだら、かすかにガウが返事をした。でも姿がみえない。それ以降、何度名前を呼んでも返事がない。ガウはリビングのソファの下にいた。瞬きもせず横になり、息も絶え絶えながら冷たいフローリングの上で命の炎を懸命に燃やしていた。
息子が膝枕をして暖める。もう鳴くことも出来ず、静かに呼吸するだけの命。大好きな息子の膝枕の中、ガウは安心したのか最期の息を吐き出し、そして二度と吸うことはなかった。
子供たちが登校できる精神状態ではなかったため、本日昼、学校を休ませてペット霊園で火葬。家族全員で立会い、人間同様の葬式を挙げた。遺骨を持った息子は親友を失って深い悲しみに暮れている。こんな幸せなネコはいないと真剣に思えるほど、ガウは家族に愛されていた。
息子よ、娘よ。どうか悲しみを乗り越えて、また一つ強くなってほしい。
ガウよ、今日は子供たちを慰めるのに精一杯で感傷に浸るゆとりもなかったよ。
死の5時間前(明け方3時)に私を呼んだとき、キミが何を言いたかったのかは分からなかったが、その後ソファの下へ移動したということは、やっぱりあれは別れの挨拶だったのか?
瀕死だった今朝8時、よく息子の呼び掛けに返事をしてくれた。あの状態で返事ができたなんて今でも信じられない。おかげで全員で看取ることが出来たよ。
ガウよ、今日までありがとう。どうか安らかに眠ってくれ。
(ガウ:死の数日前に撮影↓)